いやぁ、『姑獲鳥の夏』面白かった。
面白いというか、興味深かった。be interested to です!!


んで、京極堂シリーズ第二弾『魍魎の匣』を読みたい気分が無きにしも非ずなのですけど、
っていうかめっちゃ読みたいのですけど、
とりあえず『後巷説百物語』に戻ろうと思いまっす。


ところで、何故私が『後巷説』を読み進めるのを敬遠したのか、自分を分析してみますた。


以下、どうでもいい独り言。



「赤えいの魚」と「天火」を読んで、私は「ウッハウハな気分が止まらねぇゼ!」
になったんです。しかし、「手負い蛇」に差し掛かったところで、
うっかりというか待ち切れなかったというかでパラパラと先読みをしてみたんですよ。
そして気づいたことが。


「赤えい」と「天火」は目線が完全に若い頃の百介になるんですよ。
規則があって、
現在視点⇒老百介語り⇒若百介視点⇒現在視点⇒老百介語り⇒若百介視点
みたいな。
しかし「手負い蛇」以降は、若百介視点が無くなっているっぽいんですよね。
それが予想以上に悲しくって。
いや、若百なくても充分面白いし、老百介語りは完全に若百にリンクしてるし問題無しなんですけど。
でも若百視点がなくなる事によって、
「あぁ…百介が若くて、又市やおぎんさん、その他大勢の頼もしい変な人達がいた、
あの時間は大昔に過ぎ去った事なんだな…。」
という、郷愁の思いが怒涛のごとく私を襲ったんだと思います。


んで、悲しすぎて読めなくなったと…。


のめりこみ過ぎだ